どうして年収に基準をつくりたがるのだろう
年収に基準をつくりたがる世の中
ネットの記事や本を読んでいると、よくこんなタイトルや主張を見かけます。
「年収1000万円をめざすべきではない」
「年収800万円を超えると幸福感が薄まる」
「高収入の目安は年収800万円」
「年収600万円が人生の勝ち組の分岐点」
ちなみに「年収」で検索すると、まあ本当にたくさんの「年収○百万円だと○△※」という記事がヒットしますよ。
年収に基準をつくって意味があるのだろうか
年収の金額が多いのか、少ないのか。
それはその人の置かれている環境によって、かなり違った答えになりますよね。
何歳の時の年収なのか?
独身なのか、既婚なのか?
配偶者と共働きなのかどうか?
子供は何人いるのか?
住んでいるのは大都市なのか、地方なのか。
住宅ローンを抱えているのか?
サラリーマンなのか、個人企業の経営者なのか?
要するに、年収が多いか、少ないか、などという基準なんて、きわめて主観的なお話だと思うのですよ。
年収がいくら以上は勝ち組だとか、高収入の目安がどうだとか…。
その手の記事を読んでいると、つい「あなたにそんな基準を決めてほしくないんだけど」と嫌な気分になるのです。
もちろん何かの統計とか、米国の偉い学者の研究論文とかを引用しながら主張されているのでしょうけどね。
でも、そんなことは人ぞれぞれ、じゃないですか。
それを、もっともらしく800万円だとか、600万円だとか…。
その数字に、どれだけ意味があるのだろう、と思っちゃうのです。
その年収で暮らしていければ、その人にとってはよし、ということ。
結局、それ以上でも、それ以下でもないと思うのですが。
資産の目安は役に立つと思う
一方、リタイア後の生活を考えると、資産の多い少ないは切実です。
だから、年収がいくらかよりも、資産をどれぐらい貯えるか、ということの方が、基準とか目安を考える意味があると思うのですよ。
別に1億円とか、5000万円とか、2000万円という金額基準ではありません。
あのFIREの4%基準で言われている「年間支出予定額の25倍」という目安(緩やかな基準)が、シンプルでとても役に立つと思うのです。
この資産の目安・基準であれば、人によって、金額もまちまち。
年収の基準なんて全く気にする必要はないけど、資産の目安であれば、「少しでも多く稼ごう」とか、「もうちょっと節約しよう」とシンプルに考えられますよね。
読んでくださって、ありがとうございました。
ともに経済的自由を手に入れられますように。